エンゼルス列伝:長谷川滋利(投手) 引退後の方がスゴい!?

メジャー通算成績(実働9年)

登板 イニング 勝利 敗戦 セーブ 奪三振 防御率 WHIP
517 720.1 45 43 33 447 3.70 1.33

兵庫県加古川市出身。東洋大姫路高校から立命館大学へ進み、1990年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブの1位指名を受け入団。1997年1月に金銭トレードでメジャー移籍し、エンゼルスへ入団。エンゼルスで最初の日本人選手になった。エンゼルスでは5年間、主に救援投手として活躍。その後2002年からシアトル・マリナーズへ移籍。2005年のオフに引退した。

引退後はエンゼルスの地元のオレンジ・カウンティに移り住み、プロの指導者や解説者になることなく、趣味のゴルフや投資にフォーカスして活動している。メディアを通じて野球界とは今でも関わっているが、プロの指導者、監督として関わることとは距離を置いている。

スポンサーリンク

流暢な英語を操り、アメリカ人にインタビューできるほどの語学力がある。また野球だけでなく、ビジネス、自己啓発、英語などに関する著書も多数。現役時代よりも引退後の方が目立っているくらいだ。

プレーオフに縁がなかったメジャー時代

1997~2001年でのエンゼルスでの5年間、チームは2位、2位、4位、3位、3位と一度もプレーオフへと進めなかった。ところが長谷川が退団した直後の2002年、チームはワイルドカードからワールドシリーズ制覇まで上り詰めたのだから皮肉なものだ。

逆にシアトル・マリナーズは長谷川が移籍する前年の2001年は年間116勝という記録的なシーズンでプレーオフへ進んだが、長谷川の加入した2002年以降は3位、2位、4位、4位と成績を落とし、結局引退するまで一度もプレーオフを経験することがなかった。

エンゼルスへは先発投手として移籍してきたが、4月に結果を残せず、5月からは中継ぎに降格した。シーズン終盤に再び先発するチャンスを得たが、そこでも打ち込まれ、以降は引退までリリーフ投手として活路を見出していく。

投球は90マイル台前半の速球とスライダーを中心に組み立て、外角低めへのコントロールが生命線だった。

印象に残る伊良部との投げ合い

管理人は1997年8月20日のヤンキース戦をアナハイムに見に出かけた。これは長谷川と同じくこの年にヤンキースに移籍した故伊良部秀輝投手が初めてカリフォルニアで投げる日だったからだ。この日、エンゼルスの先発が2回途中5失点で早々とKOされると、そこで緊急登板したのが長谷川。思わぬ日本人投手対決を見ることが出来た。長谷川はそこから6イニングを無失点に抑え、伊良部と堂々と投げあった。その間エンゼルスも3点を返し追い上げムードが高まったが、7イニング目の8回、ついに長谷川が3失点して勝負は決した。打たれた瞬間、マウンド上でがっくりとうなだれた長谷川の姿が目に焼き付いている。

スポンサーリンク

鳴り物入りでヤンキースへ入団した伊良部だったがメジャーでは大きな成功をおさめることが出来ず、2002年で撤退。引退後は長谷川と同じくロサンゼルスを拠点にうどん店などを経営していたが、私生活には恵まれず2011年に42歳の若さで自死することになった。

対照的には長谷川は現役時代から投資やビジネスに熱中し、引退後は投資家として成功を収めていく。

ゴルフはプロの領域に

また、引退後の長谷川はゴルフに熱中し、シニアプロを目指して練習に明け暮れるようになる。2017年頃にはハンディゼロ以下になり、全米アマチュアへ挑戦。全米アマはプロへの登竜門として多くの若い選手が出場する。優勝者はマスターズや全米オープンへの参加が許される極めてレベルの高い大会だ。過去にはプロ入り前のタイガー・ウッズが3連覇したこともある。

予選2日間を2アンダーで回った48歳の長谷川はついに本戦への切符を掴んだ。本戦では親子ほどの年の違う若い選手らに混じって奮闘した長谷川だったが、難しいコース設定の前に残念ながら11個のボギーを叩いてしまった。しかし試合後「もしクラブハウスにマイク・ソーシアがいて、今日の自分のプレーを見たら、速攻でブルペンに電話したろうな」と英語でジョークを飛ばした。

管理人は現役時代から彼の知己を得ているが、引退後に自分の趣味を広げ、人生を楽しんでいる姿は見習うべきものがある。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です