エンゼルス事件簿:メジャーリーガーとしての第1歩を踏み出した夜に事故死

ようやく掴んだ開幕メジャーの座、遥かメリーランドから呼んだ父の前、初先発で6回無失点の好投。喜びに沸いたその晩、飲酒運転の車に激突され短い生涯を閉じた投手がいた。

  ニック・エイデンハート、2009年4月9日没。享年22歳。

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メリーランド州出身。9歳の頃にはメジャーを目指し、地元ではすでに有名な選手だった。高校に上がる頃には全米でも注目を浴びる存在で、早くからドラフト候補と目されていた。前評判の高さを表すように代理人はあのスコット・ボラスがつくほどだった。

ところが卒業を控えた2004年のドラフト前に肘を故障してトミージョン手術が必要となったため多くの球団は指名を回避した。しかしエンゼルスが14順目で指名し入団することになった。

トミージョンから復帰したエイデンハートはマイナーで腕を磨き、2008年に初メジャー昇格。しかし制球に苦しみ思うような成績を上げられず再びマイナーに降格した。

2009年、スプリングトレーニングで好投を続け、念願の開幕メジャーを勝ち取った。そして4月8日の開幕3戦目のアスレチックス戦に先発した。この試合、故郷のメリーランドから父を呼び寄せていた。

エイデンハートはランナーを出すも粘りのピッチングを続け、6回無失点の好投でマウンドを降りた。残念ながら抑えのブライアン・フェンテスが打たれてエイデンハートに勝ち星はつかなかったが、試合後、初めてメジャーで自分のピッチングが出来たことを父や代理人のボラスと喜びを分かちあった。

その晩、友人ら3人と合流し、友人の運転する三菱エクリプスのオープンカーに同乗して球場近くを通りかかった時、トヨタ・シエナのバンが赤信号を無視して100キロ近いスピードで突っ込んできて、エクリプスに激突した。この事故で運転していた友人と助手席の友人が即死。エイデンハートは意識不明の渋滞で病院に担ぎ込まれたが、治療の甲斐なく9日早朝に息を引き取った。享年22歳であった。

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トヨタを運転していた22歳のヒスパニック系の男は大事故にもかかわらず自分は無傷で、現場から逃走。30分後に警察に捕まったが、かなりのアルコールが検出された。調べると過去に二度、飲酒運転と薬物運転で有罪判決を受けており、事故を起こした時は免停状態だった。のちに懲役51年の禁固刑を受けている。

翌日の試合は事故を受けて中止になった。その後エンゼルスナインはユニフォームの胸にエイデンハートの背番号34があしらわれた喪章を着用した。彼と一緒に戦い抜こうと、ユニフォームやスパイク、それに最後の登板となった試合のスタメン表などをロッカーに置いたままにした。本拠地の外には、彼を偲ぶファンがメッセージを記した球団の帽子や手紙などを置いた追悼の輪ができた。その輪にはキャンドルが灯され、シーズンが終わるまでそこを訪れる人が絶えない“名所”になった。

その年、エンゼルスは地区優勝を遂げた。選手たちは試合に勝って優勝が決まったあと、全員で外野のエイデンハートのモノクロ写真にタッチし、シャンパンファイトの時には選手たちはエイデンハートのユニフォームにもシャンパンをかけ喜びを分かち合っていた。

プレーオフでは、リーグチャンピオンシップシリーズでニューヨーク・ヤンキースに敗れ、シーズンを終えたがエンゼルスは、1人あたり約13万ドルのプレーオフ分配金を、エイデンハートにも贈った。

あの日、抑えのフェンテスは4本のヒットを打たれ9回に3点を失って逆転負けを喫したのだが、もしちゃんと抑えていたら事故現場にあのタイミングで行く事はなかったのではないかとか、いろいろ想像したのを覚えている。

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