チーム紹介:ビリー・エプラーGM

43歳。ヤンキースで腕を磨いた辣腕マネージャー。勝利を目指しながら、選手の育成も行うという難しい課題が待っている

カリフォルニア州サンディエゴの出身。コネチカット大学時代に投手としてプレーしていたが、右肩を痛めて選手を断念した。大学では会計学を専攻し、1998年に卒業後は財務アナリストとして活動するが、わずか9ヶ月で退職。その後インターンとしてNFLのワシントン・レッドスキンズで働いたのがスポーツビジネスへの嚆矢となった。

ロッキーズで頭角を現し、ヤンキースではGMの右腕に
2000年にコロラド・ロッキーズのパートタイムスカウトの職を得て野球界へ。そして2004年シーズン終了後にニューヨーク・ヤンキースへ移った。分析力に長けたエプラーはいつしかブライアン・キャッシュマンGMの右腕と呼ばれる存在になっていった。2014年にヤンキースがポスティング制度で田中将大を獲得しようとした際に、エプラーは来日を重ねて田中獲得への道を拓き、その手腕は確固たるものになった。

エンゼルスは2011年に2代前のGMトニー・リーギンス(注*)を解任した時にも、エプラーは新しいGMの候補に上がっていた(結果的にはダイアモンドバックスのGM補佐だったジェリー・ディポト氏を採用)。

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エンゼルスのGMに就任
2015年、そのジェリー・ディポトGMが監督のマイク・ソーシアと意見の違いから衝突し、「やってられない」と自らGM職を放棄し辞職した(注**)。その後釜として2015年10月4日、エプラーはエンゼルスのGMに就任した。その時、エプラーはマリナーズやパドレスのGMの候補にもなっていたという。エンゼルスとは2019年までの4年契約を結んでいる。

念願のGM職に就任したエプラーだったが、その時点でエンゼルスはそれまでの大型補強が不良債権化して、さらなる大型補強は難しい状態だった。それでもアップトン、シモンズといった好選手を引っ張ってきているのでチームを組成する手腕は確かなものがあるようだ。

そして2017年12月、大谷翔平の獲得に成功し、さらに名を挙げた。大谷を獲得できた要因はソーシアを説得して、大谷の目の前で二刀流サポートの確約をさせたことだと言われている。

ちなみにエンゼルスを辞めたジェリー・ディポトはその後シアトル・マリナーズのGMに横滑りし、現在もGM職についているが、大谷獲得レースでエンゼルスに敗れたその心境はいかがなものだったろうか。

優勝と育成、大きな課題に挑む
エプラーのGMとしての大きな課題は、以前はメジャーでもトップクラスの質を誇ったエンゼルスのマイナーが、この10年の度重なる大型トレードにより完全に枯渇してしまったことだ。特に投手の育成は全くと言っていいほど上手く言っておらず、2008年にデビューしたジェレッド・ウィーバー以来、ただの一人もエース級を育成できていない。お荷物球団からわずか5年でワールドシリーズを制したアストロズは、生え抜きの選手が中心であることを見てもわかるように、次から次へと有望選手を育てられるファームシステムの再構築は急務である。

2年連続で負け越しているエンゼルスだが、今後も明らかな再建モードに突入するようなことはしないとモレノオーナーは断言しており、優勝と育成を同時に目指すという非常に難しい課題にエプラーは取り組まなくてはならない。

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(注*)トニー・リーギンスはエンゼルスのチケットセールスのインターンからGMにまで駆け上がった優秀な黒人だった。メジャーで初の黒人GMということで注目されたが、実質はオーナーのアルトゥロ・モレノのイエスマンに過ぎず、オーナーの鶴の一声で獲得したバーノン・ウェルズの不振の責任を取らされた形で解任された。 参考:モレノのバーノン・ウェルズ事件

 

(注**)ディポトは就任1年目のシーズン中に、チームの打撃不振の責任を負わせる形で、ソーシアの永年の盟友だった打撃コーチ、ミッキー・ハッチャーを独断で解雇した。そのことが原因で二人の仲は修復不能になったと報じられている。さらに2015年、データをどう活用するかについて主力選手(プホルスと言われている)がGMのやり方に反発し、コーチ陣を擁護する姿勢を見せたためディポトは孤立した。結果として、エンゼルスはディポトを切らざるを得なくなった。

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