2月9日、エンゼルスタジアムのあるオレンジ・カウンティで広く読まれている地元紙OC Registerでは、Web版で大谷選手の長文の特集記事を載せた。同新聞社に勤務する日本人記者であるTomoya Shimura氏が寄稿している。長文ではあるが、日本語に訳して紹介したい。
Shohei Ohtani: Who is the Angels’ new guy?
(ショーヘイ・オータニ:エンゼルスの新しい男はどんなヤツだ?)
エイキ・オオサワは、オータニと初めて会った日のことを思い出した。
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それは2010年の春、花巻東高校の野球チームの新人だったオータニは、すでにその地域で最も優れた選手の一人として知られていた。オオサワは、この新人は背が高くて、痩せているなと思った。
「思えば、これがあのオータニだったんだよ」
オータニにまつわる話には終わりがない。
オータニ、近年のエンゼルスで最大の新人、おそらくメジャーリーグでも最大級の男が今週のスプリング・トレーニングの開始合わせてに到着する。彼はケタ外れの才能と21世紀の神話が混在する存在なのだ。
23歳のオータニだが、日本での名声はすでにスポーツ界を超越している。彼は大きく、強く、謙虚なのだ。しかも信じられない技術を持ち、素晴らしいイケメンだ。レブロン・ジェームスかトム・ブレイディを想像してくれ。ハリウッドの女優と一緒にいるマイク・トラウトかもしれない。
数多くの日本人ジャーナリストがオータニにピッタリとくっつき、それは一年中続いた。
アメリカでもそれが変わることはないだろう。
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ひとたびプレーすれば、スカウトたちは現代野球を再編成する可能性のあるプレイヤーを目にした。何しろ彼はエース級の先発投手であると同時に、オールスター級のバッターの能力も兼ね備えているのだ。
そんなことがあり得るとは誰も想像すらしていなかった。長続きするはずがないという声も多かった。しかし、オータニを見ると、どんなに保守的な野球界にあっても、神聖なる「ベーブ・ルース」の名を出さずにはいられない。
で、こいつはどんな男なのだ?
オールド・スクール
「彼はいたずら好きなやつさ」。オータニの現在でも友人であるオオサワは、高校で3年間過ごした子供の頃と、彼はほとんど変わっていないと語る。
「彼はおもしろい。人をイジるのが好きだが、同時にイジられてもいたよ。」
しかし、グラウンドに出れば、練習やトレーニング、試合でもオータニは野獣というしかなかった。
オオサワ「選手というものは上達することにとてつもなくハングリーで、上手くなるにはどうしたらいいか、常に興味を持っているものだ。オータニは今でも上手くなるために必要なことには何でも(栄養学、トレーニング方法、ライフスタイルまであらゆることに対して)とにかく貪欲だ。たとえ彼が疑いようもなく日本で最高のプロ野球選手であったとしてもだ。」
「しかし、グラウンドを出ればそんな風には見えない」とオオサワは続けた。「彼が見事にオンとオフを自分自身で切り替えているのがとても印象深い。」
日本の文化において謙虚さは大きな美徳である。それは米国においてよりもはるかに大事にされている。オータニは、公的にも私的にも、その概念を大事にしているようである。
米国のメジャーリーグでプレーする意向を発表した昨年11月の記者会見では、「自分が日本の野球に戻って来れるかは分からない」と語った。例え、巨額の金を捨てるかもしれないとしてもだ。
オータニはお金についての質問には答えなかった。ピッチャーとキャッチャーがスプリング・トレーニングで最初に集まる2月14日までメディアを待っている。そしてもし彼が何かを語る時、日本語を喋れるメディアは有利だろう。なにしろオータニはまだほとんど英語を話さないのだから。
しかし、オータニを個人的に知っている人や、プロとして接していた人にインタビューしてみた限りでは、たとえ名声と注目が彼の周りに渦高く積まれたとしても、彼は何ら変わることなく、地に足の着いた暮らしぶりだろうということは察せられる。
オオサワ「オータニのことを悪く言う人には会ったことがない。彼に会うと誰もが彼のことを応援したくなるんだ」
彼のそんな特性は、二刀流を成功させる上で大きく役立ったに違いない。
プロ野球に30年近く携わってきたスポーツ・ニッポンの編集者シゲト・アキムラは、「オータニがベーブ・ルースが1918年に13勝して、本塁打を11本打った記録を破るのを楽しみにしている。特にちょうど100年ぶりの快挙になったらいいね。」
それらの数字は野球の革命的な記録だろう。しかしアキムラも他の人たちも、そんな数字は十分ではないと言う。「もっとすごい記録が出るよ」。
「20勝、30本かな? 過去5年間に彼のやってきたことを知れば、誰だって彼ならやるかもしれないと思うさ」
アキムラ「オータニが大リーグで成功するかどうかは分からないが、日本ではすでに唯一無二の存在さ。彼は他の誰もがやっていないことを成し遂げてきたのだから」
予想を裏切る
高校を卒業して2年後の2014年、オータニはNPBの北海道日本ハムで87試合に出場した。NPBは米国のAAAクラスと考えられている。オータニは先発投手として11勝し、外野手として10本の本塁打を打った。投打両部門で2桁の数字を記録した人間は、ベーブ・ルースが投手として最後に働いた1918年以来、メジャーでも日本でも誰もいなかった。
ファイターズの監督のヒデキ・クリヤマは「オータニは、プロ野球をしている私達ですら『すげーっ』と言わせてしまうんだ」と語る。
クリヤマ「他の人間からすれば不可能なほど難しいと思える状況においてでも、彼は素晴らしいプレーをするんだ。」
しかし、オータニがすごい数字を上げているのを野球ファンが見れば、軽いファンでも、スポーツを全く見ないない人でさえも、オータニの劇的なドラマは、架空の野球スター、ロイ・ホッブズを赤面させると思うだろう。
2016年7月3日、オータニは初めて1番バッターを打ち、ピッチャーとしても先発した。その試合で彼はなんと先頭打者で初球をスタンドに叩き込んだ。
同じ年、スピードガンはオータニの速球を102.5マイルと記録した。これは日本記録だ。
正確な距離はわからないが、その手の知識のあるスカウトによるとオータニのホームランは飛距離500フィート(152m)に達することもあると言う。1996年以来、メジャーでは現代的な距離計測ができるようになったが、過去それほどの飛距離を記録した本塁打は15本に満たない。
スポーツ編集者のアキムラは語る「そんな数字にとらわれていると大事なことを見落とす。オータニの魅力は野球というものを超えているのだ。他の競技でも、そんな夢を見させてくれるプレーヤーがいるか?誰もいやしないさ。」
神話のような金字塔
1994年7月5日に生まれたオータニは、東京から北へ約300マイル離れた寒い岩手県の奥州市で育った。ここのアトラクションの1つは牛の博物館だ。
オータニの父親はセミプロの野球選手だった。彼の母親は、高校では全国レベルのバドミントン選手だった。
オータニは地元のリトルリーグ・チームで小学2年生で野球を始めた。新聞報道によると、左打ちの打者(右投げ)として、オータニがあまりにもライトフェンスを越える打球を打ってその先の川に打ち込むので、コーチは彼にレフトへ打つように指示した。
オオサワによると、高校では疲れ果てたチームメートが練習と授業の間で居眠りをしているとき、オータニは自分のゲームを改善するための栄養学の本を読んでいたという。この本のおかげかどうかは不明だが、オータニは高校時代に1日10杯のご飯を食べて45ポンド(20kg)増量したという。
高校の最後の年に、彼は高校記録である99マイルの速球を投げた。
「彼はボールを捉える能力と、遠くへ飛ばす能力の両方のスキルを持っていた」と高校生のオータニをファイターズにスカウトしたタカシ・オオフチは語る。
オオフチ「彼こそ、ドラフト1位にすべきだと思ったし、完全に成長すればトッププレーヤーになるだろうと確信していた」
それには時間はかからなかった。彼は高校を出たその夏にはファイターズのためにプレーしていたし、同年、外野手として最初のオールスターゲームに出場した。彼はまだ19歳になったばかりだった。
(続く) 地元紙が大谷選手の大特集(2)
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